ポックリ地蔵 仁科佐保子
むかしむかし、北信濃の山おくの仁之倉というところに、はたらきもののじいさまがおった。
あっちこっちの家から米やそばをたのまれては十キロ奥の戸隠へはこんでいったり、黒姫の草かりをしたりしてくらしておった。
その日もじいさまは、重い米とそばをしこたま馬につんで、あつい夏のひる日中、汗をふきふき、ポッコポッコと戸隠に向かっておった。
道の半分ほど来たところで、村の庄屋様からたのまれた山の草かりの場所をみておこうと思った。
馬を木につないで、ささっぱの山道をかきわけかきわけ進んでいくと、ふいに、大きな石に足をとられた。
「おや、なにかな。」
じいさまが、足にからんだささっぱをはらいのけて、その石をよくよく見ると、
「ややっ。」
と、びっくらこいた。おどろいたのなんの、それは、おじぞうさまだで。
おじぞうさまは手を合わせて、きれいな目でじいさまを見てらっしゃる。
じいさまは、いそいでおじぞうさまをだきおこすと、
「庄屋様のところのじぞうさまじゃなし、はてさて、ここは、だれの地所だらず。」
「こんなささっぱの中の、人のとおらん所じゃ、おじぞうさまもさびしかろうに。さあて、どうしたものか。」
さんざん頭をひねくって、いいことを思いついた。
いそいで戸隠へ荷物をとどけると、とぶようにして、おじぞうさまのところへもどった。
そして、おじぞうさまを馬のくらにつんで、ポッコポッコと下ってきて、ノゾキ井戸というタタミ一枚ほどの泉のほとりに、うやうやしくおくと、
「ここで、通る人をお守りくだされ。」
と、頭をさげた。
戸隠への道は、うす暗くなると、あっちこっちのやぶからおおかみのなき声がして、山道になれているじいさまでさえきみがわるい。
「とくに、道になれない人や、女子どもをお守りしてくだされ。おねがいしましたぞ。」
じいさまは、いくどもいくどもおねがいして、家にかえった。
それからというもの、じいさまは、それまで以上に働くことはたらくこと。
新しい年がくるたんびに年を一つずつへらしていくように、からだがよくうごいた。
「じいさまは、はたらきものだ。」
「じいさまに、あやかりたいで。」
村の人々はそういいあった。
こうして、二十年たって八十五歳になったじいさまは、ある日、はっとした。
「わしが、この年でこんなに元気でいられるのは、あのおじぞうさんのおかげかもしれん。こんどは、家へおつれして、朝に夕べに大切にお守りしなくちゃ申しわけねえ。」
そう思いたつと、おじぞうさまに、あいたくてあいたくて、もう、じっとしておれん。
小雨のしとしとふる朝早く、じいさまは、みのをきて馬と出かけた。一里ほど山道をのぼって泉につくと、じいさまは、おじぞうさまにおたのみ申した。
「わしは、こんなに元気で長生きできました。
これもみんな、おじぞうさまのおかげだで。今日からわしの家までおりてきてくださって、らくをしてくだされ。」
そういうと、米だわら半分ほどの重さのおじぞうさまをしょって、よいこらしょと山をおりた。
平らな道では馬にのせて、ひる前には家へおつれ申した。
それからは朝にばんに、おじぞうさまに手を合わせ、毎日のぶじをいのっては、はたらいてはたらいて、九十歳になった雪のきれいな朝のこと、じいさまは、ポックリと亡くなった。
じいさまは、おじぞうさまのようなやさしいしずかな顔をしておいでた。
それからは、きんじょのばあさんたちが、このおじぞう様を
「ポックリ地蔵」
と呼び、楽に死ねるようにねがっては、手を合わせて通るようになったということだ。