石橋の地蔵尊 大草薫
元禄のころ、石橋の尼寺の近くに、佐藤八右エ門という百姓が住んでいた。
たいへん働き者で、秋の取り入れも終わると、副業の竹細工に霊泉寺山の大沢へ竹を切りに出かけるなど、精をだしていた。
あっる夜のこと。
八右エ門は、昼間の疲れもあって、深い眠りについた。
「助けてくれー、助けてくれー。」
と、呼ぶ声にびっくりして目を覚ましたが、
「ああ!夢であったのか。」
と思って、ふたたび眠りについた。
翌日、夢のことを気にしながら、あの声はたしか、霊泉寺の大沢から聞こえてきたように思った。
もし誰かが、助けを求めているなら、助けてやらなければならない。
「そうだ、人助けに行こう。」
八右エ門は、したくをして、大沢へと向かった。
「おおい、おおい。」
八右エ門は、大声で呼びながら、一日じゅう、山の中を探して歩きまわったが、何の手がかりもなかった。
「やっぱり夢であったのか。」と、思いながら、日も暮れかかったので家へ帰ることにした。
その夜のこと。
八右エ門は、夜中にまたもや。
「助けてくれー、助けてくれー。」と呼ぶ、同じ夢をみた。
朝になって家のものに、昨夜のことや、二度も同じ夢をみたことを話し、今日、もう一度大沢へ、探しに行くことにした。
山に着いた八右エ門は、昨日と同じように、「おおい、だれかいないかー。」と、呼びながら、川っぷちやらやぶかげまでまで、探しまわった。
しかし、何の手がかりもなかった。
つかれた八右エ門は、とぼとぼと、山を下りはじめた。と、急な坂道で、何かにつまずいてどっと倒れてしまった。
八右エ門は、はっと思って、つまずいた物にさわってみると、何やら丸みの石。
不思議なことだと思った八右エ門は、その石のまわりを掘ってみた。
おどろいたことに、それは、地蔵さんの頭だった。
八右エ門は、夢中で掘り起こした。
すると、二尺(約六十センチ)余りの立派な石のお地蔵さんの姿が現れたではないか。
八右エ門は、このお地蔵さんを、背負子に着けて背負い、家路へと急いだ。
「夢は正夢であった。お地蔵さんがお呼びだったのだ。」
そう思うと八右エ門は、足もかるがる。お地蔵さんを背負っていることの重さも感じず、家路を急いだ。
わが家の見える峰まで来たところで、急につかれを感じた。
「まあ、一服しよう。」
と、八右エ門は、道端にお地蔵さんをおろした。
一服しながら八右エ門は、わが家のどこにこのお地蔵さんをお祀りしようかと、あれやこれや考えをめぐらした。
さて、ひとやすみしたので、お地蔵さんを背負って立とうとしたが、どうしたことか、こんどは、どうしても立つことができない。
ずしりとして、その重いこと重いこと。
しかたがないので、その場にお地蔵さんを置いてわが家に帰り、家の人達にそのことを話した。
「そりゃ、お地蔵さんは、あの場所がお気に入りなんだよ。石橋のみんなが通るでな。」
と、おかみさんも言ったので、八右エ門は、翌日、家族みんなと連れ立って、お供物を持って、あらためてお参りをし、その場にだいじに祀っておくことにした。
それから長い間、路傍のお地蔵さんとして、多くの人達に親しまれつづけてきた。
ことに子どもたちの遊び相手にもなさるという評判で、しぜんと、子どもたちの良い遊び場にもなっていた。
安政の頃になって、村の人達の力で、地蔵堂も建設された。
八月二十三日は、地蔵祭りがたいへん賑やかに行われ、盆踊りやら、屋台店、また、子どもの花火大会なども行われ、盛大なお祭りができるようになった。
ところで、八右エ門が、大沢からお連れした時は、いろはついていなかったが、いつのころか村人によって朱が塗られ、今のように真赤なお地蔵さんになったそうな。