善光寺地震とお小僧さん 大草薫
今から百五十年前のことです。
稲附けにある貞林寺七代目住職となっていた、南国画龍さんは、二人の弟子に寺をまかせ、越後の国へ托鉢に出ていきました。
托鉢に歩きながら、どうしたことか、なんとなく、いやあな予感におそわれました。
そのうちに、からだがふらふらっとして、立っていられないほどでした。
「これは信濃の国、なにかおこったにちがいない。」
画龍さんは、そう直感しました。
いそいで帰ってきたら、予感とおり、地震によって寺は倒れ、弟子は二人とも、その下敷きとなって亡くなっていました。
まだ二十歳前で、きびしい修行にいそしんでいたお小僧さんです。
「りっぱな和尚になるはずの二人だったのに。」画龍さんは、目をうるませながら合掌されました。
弘化四年三月二十四日の善光寺地震のことでした。
和尚に信頼されていた若いお弟子さんのお位牌は、いまでも貞林寺にたいせつにまつられています。
蘭渓豊隆上座としるされています。
