ふたつの炎天寺 黒田ゆり子
今から、一六〇年ほどむかしのことでした。
小諸のまちに、小林葛古という、俳句をつくる人が住んでいました。
葛古さんは小林一茶が亡くなられた五年後(天保三年)の四月、思いきって奥さんといっしょに旅に出ました。
旅のもくてきは、善光寺さんと、直江津ちかくにある、五智の国分寺もうでです。
そのかえりみちに、六月村のちかくを通りました。そのときの日記に、
野尻より柏原へ一里、野尻の湖水よく晴れて見ゆ。
宇佐美駿河守貞行(定行)がことなど思ひ出られて昔しのばし
六月村は往還より右の方、炎天寺と言う小寺あるよし
蝉鳴くや六月村の炎天寺
といへる一茶が句はここの事なり
と、書きとめています。
このお寺には、お夏・お照るという二人の娘がいましたが、あるとき火事にあって、丸やけになってしまいました。
お寺は、建てなおすこともできなかったので、炎天寺の人達は、しかたなく江戸へいってしまったそうです。
村人たちは、娘たちにお夏、お照などという暑い名前をつけたので、火事にあったのだろうと、今につたえています。
ところが、東京の足立区に六月町という町があります。しかも、この町にも炎天寺というお寺があるのです。
このお寺のいわれ書きをみますと、「六月村の炎天寺、住職が土用坊で、おかみさんがお夏さん、弟子が温気坊で・・・・」と、暑いものづくしのはなしがここでもつたえられているのです。
また、このお寺にも一茶の
蝉鳴くや六月村の炎天寺
という、りっぱな句碑がたっており、毎年十一月二十三日には、一茶まつりがにぎやかにおこなわれています。
町の名といい、お寺の名前といい、暑いものづくしのはなしといい、一茶とのつながり等など、たいへん似た話ばかりなのです。
目にみえない糸でつながれているような、なんともふしぎな、ふたつの炎天寺ではありませんか。