古海街道の美女 高橋忠治
ある夏の夜のこと、一人の武士が古海の山ぞいの道を歩いていた。どこかでいっぱいひっかけてきたらしく、ほろ酔いきげんで、習いたての謡曲を口ずさんでいた。
ほわっとした風が武士のほおをなぜて通ったとき、目の前に女がたっていた。「おそれいおりますがー。」と、女が声をかけてきた。若い女である。
武士がけげんそうに立ち止まると、「ちょと難儀いたしておりますゆえ、恐れ入りますが、この子を抱いていただけないでしょうか。」
見ると、いつのまにか、女は胸に赤子を抱いていた。「よかろう。」
武士はその赤子を受けとった。「おそれいおります。」
そういうと、女は先に立って歩き出した。
武士は女のあとにしたがうようにして歩き出した。
しばらくいくと、また、「おそれいおります。」と言いながら女は雑木のつづくわき道へと入っていった。
武士もしかたなく後に続いたが、赤子を抱いている手がしびれるほどにつかれてききた。赤子にしては重すぎる。いや、受けとったときは綿のように軽かったのに、歩くたびにずんずん重くなってくるのである。
女は、大きな岩をひらりと飛びこえると、ちらっとこっちを見て、また、「おそれいおりますがー。」と言った。岩を乗りこえてついてきてくだされという意味である。
いくら強い武士でも、ずしりと重い赤子を抱いたままでは大岩を乗りこすわけにはいかぬ。武士は、はあと一息ついて赤子を見ると、なんと、それは、石の地蔵に変わっているではないか。
さては、妖怪変化だ。
武士は、地蔵を放って腰の刀をさっとぬいた。
そのとたん、武士の刀のつばについていたニワトリの彫り物が、「コケコッコー。」と激しいときをつげた。
大岩の上に立っていた女は、みるみる山んばに変身し、宙を飛んで姿をけした。
古海街道で、あやしいものに出会ったら、ニワトリの声をたてるべしーと、いまもなお語り伝えられている。