閑貞ざくらと無量寺 大草薫
今から三百年ほど前、平岡の御料は御料新田とよばれておった。
御料新田はヤチ(湿地帯)だった。
あれ寺だった無量寺に、閑貞坊という和尚さんが、どこからともなくやってきて、住職になってくれた。
身の丈六尺(約二メートル)体重四十貫目(約百五十キログラム)。
力持ちで勇かんな和尚さんで、のっしのっしと、あっちこっちの村を托鉢に歩いていた。
そのころ、村の近くに、やめの(山犬ーおおかみ)や、むじなが出て、作物が荒らされて困ったそうだ。
また、どいつのしわざかわからんけれど、つぐらに入っていた、ぼこ(赤ちゃん)の首が、知らぬまに後向きにまわっていたりして、村の人びとは、不安と恐ろしさにおろおろしていた。
「おっしゃん、なんとかしてくんねかえ。」
村びとのたっての願いに、閑貞和尚は、
「よしきた!」
とばかりに、さっそく夜の山道で、二匹のやめのをつかまえ、両方の手にそれぞれの首ぐらをつかんで、頭と頭をぶつけ、なんなく退治してしまった。
また、こんなこともあった。村はずれの家で、毎晩みんながねしずまったころ、土蔵の糸繰り機が、キーキー音がして、うすくみわるっくて夜もねむれない。
そこで閑貞さんにたのむと、閑貞さんは、ほいほいひきうて、ひとばんじゅう、土蔵に入って番をしておった。
夜中になって、出てきた、出てきた。ちっこいネズミが、ぞろぞろぞろぞろ。
ネズミどもは、糸繰機の中に入ってあそびはじめた。
しばらくして閑貞さんが「こらっ」!と、一喝したら、それっきり静かになったそうだ。
また、無量寺の本堂の鐘が夜中になるので、誰がたたくのだろうと、不思議に思い、ある晩、閑貞さんが、よくよくみたら、やっぱりネズミが、しっぽではたいていた。
閑貞さんは、「こりゃ、信心ぶかいネズミじゃのう。」と、つぶやいた。
ネズミは閑貞さんにほめられて、それっきり、いたずらをしなくなった。
閑貞坊は、托鉢をしたり、子供と遊んでくれるので、村は平和になった。
数年たって、隣の原村の人達が、「こんどはわしらの村へ来てくだされ。」と、強くお願いをし、原村に観音寺を建てて、閑貞さんを住職としてむかえた。
さて、原村に移り住んだ閑貞坊が、旅から杖にしてきた桜の枝を庭に植えたのが、いまに名高い、原の閑貞ざくらである。
毎年みごとに咲くこの桜を、地元の人はもちろんのこと、遠くからも、多くの人達が花見に訪れ、いこいの場所ともなっている。
酒とこしょうの大好きな閑貞坊は酒をのみながらスベリヒョウ(スベリヒユ)にこしょうをしこたま(たくさん)かけて食べ、とうとう腹をこわして亡くなった。
村人に惜しまれて亡くなった閑貞坊のお墓は、無量寺の西北、杉の木の下にあり、大きな体と、大きな心の閑貞坊は、そこで静かになむっている。
閑貞坊の使用した錫杖が、御料の無量寺に、今なお保存されている。