赤川のお地蔵さま 猿谷たかよ
越後ざかいの信濃町野尻の赤川に、むかしから大へん功徳のある延命地蔵さまがおられたと。
このお地蔵さまは、今から三百年ほど前、徳川時代に赤川の坂上に鎮座なされて、炒り豆のおひねりを持っておねがいにくる村びとのねがいごと、なやみごとのすべてをお聞きくださったと。
ことに、子供の病気については特別のご利益があり、「子育てじぞう」とも呼ばれて、この地方だけでなく越後からも大ぜいの人たちが願かけに来なさったと。
そのむかし、お地蔵さまが坂上におられたころ、越後から善光寺村へ仕事に行く大工さんが、おお酒をのんできて、ここでひと休みしようとしたとき、どうしたはずみか、お地蔵さまにおでこをぶっけてしまった。
「こいつめ。」
と、かんかんにおこった大工さんは、
お地蔵さんをけっとばしたり、投げつけたりして坂の下までころがり落としてしまったと。そのためお地蔵さまの首はかけおちてしまった。
それを知った村びとは三日もさがしたが、どうしたことかとうとう見つからなかったと。
それから間もなく、あのときの大工さんは、仕事中に屋根からおちて死んだといううわさが伝わってきた。
さて、首なし地蔵さまを坂上におつれしたが、
「これでは、あまりにお気の毒だ。」
と、ひとりのじいさんがひと冬かかってお首をきざんでお付けしたが、なにぶんにもしろうとのことだから、
お首がすわらず、ガクガクとうごいていたと。
ずっと時代がさがって、明治十年。
天皇さまが北国をご巡幸なさるということで道路が整備され、お地蔵さまは関川の南の小高い山の頂きへお移りになった。
それから何年かたって、立派なお堂が山の上に建てられたそうな。
五月八日は、お地蔵さまのご縁日。
この地方も長い冬のねむりから覚めて、山の木々はいっせいに芽をふき、こぶし、山ざくらも咲きだした。
みなみ向きの見晴らしのよいお堂の一番おくの段上にお座りになっているお地蔵さまは、五歳くらいの子供の大きさです。
赤いお帽子とよだれかけが今日はひときわお似合いで、にこにこと目を細めておられる。でも、お首はやっぱりガクガクかしら。
お堂の中には、ご利益に感謝する千羽づるが、なん千羽も住みついている。