強清水 仁科佐保子

 江戸時代に入る少し前のころの話だそうだ。
 ききんが続いて貧しいもんは木の葉、木の皮、草の根までとって食い、台所にして有るねこを押しガマで細かく切って、そこにしみこんでいる塩分を煮出して汁にして飲むありさまだった。
 あそこの村で何人飢えて死んだとか、こっちでは、行きだおれが何人とか、そんな話が、毎日人びとの口から口へ、ひそひそと伝えられた。
 そんな年のこと。
 古海のある一軒の家で嫁とりがあった。この家はたくさんの田んぼ持ちで、今年のようなききんでも蔵の中には一年中食べるだけのたくわえがあった。
 そんな家だったから、はるばる山を越え谷を越え祝いにかけつけてくれた親せき縁者に、このときとばかり、ふるまうことにした。
 さて、夕方のこと、強飯をたらふくごちそうになった飯山から来た男が、家に帰るため、の祝いの帰りこのこととうげにさしかかった。
 すると、木陰から、みすぼらしくやせた二人の男がぬっと出てきた。
 二人の男は聞いた。
「嫁とりのかえりかい。」
「ああ、おめでたいことだわ。」
「なにか食うものがあったか。」
「ああ、強飯がでたぞ。」
「食ったか。」
「おら、強飯が好きだから、おかわりして五はいも食った。」
 二人の男は、祝い帰りの男の腹を見すえた。
 男たちのくぼんだ目がぎらりと光った。
 一人がすばやく祝い帰りの男のうしろにまわると、はがいじめにした。
 もう一人の男が、
「ゆるしてくれよ。」
とつぶやくや、かくし持っていた包丁で、祝い帰りの男を斬りつけ、悲鳴をあげてたおれると、その腹に刃を突き立てて、一文字に切り裂いた。
 そして、倒れた男の腹から強飯をかき出すと、近くにわき出ている清水でかき出した強飯を洗い、息をつかず、がつがつと食った。
 やがて満腹になった二人の男が立ち去ると、その清水は、切られた男の血でまっ赤になっていた。
 それ以来、古海から飯山へ向かうこのとうげをの清水を「強清水」と呼ぶようになったということだ。

前ページ 次ページ もくじ