姫の泣き石 黒田ゆり子
野尻湖の東南にあたる柴津地区に、割ケ岳とよばれるちいさな山がある。
この山は、城山ともよばれ、ふもとに「姫の泣き石」という大きな岩があり、この岩には、こんな悲しいものがたりが語りつがれている。
ずっとむかし、信濃町やとなりの三水村は、芋川の庄とよばれ、都の近衛さまのりょう地であった。
芋川の庄のとのさまには、美しいお姫様がいた。
そのころは、あちらでもこちらでも、いくさばかりの世の中で、とのさまも家来をつれて、あちこちのいくさにでかけていた。
きもちのやさしい姫は、父上やけらいたちがけがをしないようにと、あちらこちらのお寺やお宮におまいりをして、無事をいのっていた。
さて、ある日のこと、姫はおともの若者をひとりつれて、戸隠神社におまいりをした。
その帰りみち、若者は林の中に人かげがひそむのを感じた。
「姫、はやく。」
姫はすばやく若者のかげにかくれた。
林のかげから、いく人もの山賊がどっとあらわれた。
若者は姫をかばうと、迫ってきた山賊どもにたちむかった。
山賊はおおぜいだったが、うでのたつ若者のこと、姫をしっかり守りながら、ひとりのこらず切り倒した。しかし、若者もまたきずついてしまった。
やかたにもどった姫は、一生けんめい若者の手当てをしてやった。
若者のきずがなおるまで、いくにちも寄りそっているうちに、いつしか二人に愛のこころがめばえていた。
若者がすっかり元気になったころ、またいくさが始まって、敵の大軍が、越後の国からおしよせてくるとのしらせがあった。
とのさまは、おおぜいの家来をひきつれて出陣することになった。
こんどは、姫のおともの若者もいっしょに行くことになった。
姫は、泣く泣く若者をおくりだすと、いままでにまして、熱心に寺や、お宮をめぐって、願をかけるようになった。
いくさは、はげしく幾日もつづいた。
姫は、父上の身を案じ、あの若者の身を案じ、ついに城を出て柴津割ケ岳までたどりついた。
なんとそのとき、「姫さま、姫さま。」
と、よぶこえがする。ああ、その声はいとしい若者のこえであった。
若者は、姫の前でひざを折り、
「との君が討死になされました。」
と告げた。
姫は、あのつよい父上が死ぬはずがないと、はじめは信じられない思いだったが、若者のかなしい目に、偽りがあるはずがないことを知った。
「姫、わたしがついておりまする。」
と、若者はくずれ泣く姫をはげましたが、それもつかの間のこと。折からつよい雨がふりだし、若者だけがはげしい落雷にうたれて、息をひきとってしまった。
父上を亡くし、今また、かけがえのない人をうしなった姫は、泣いて泣いて泣いて、とうとう石になってしまった。
その石は、姫のふっくらとした顔のようにまるく、その目のあたりから、ポロリ、ポロリと、水がしたたるようになった。
いくさが終わったあと、村の人たちは、姫のこころをあわれんで、この石を「姫の泣き石」と名づけた。
いまでも、この丸い石はポロリ、ポロリと、水をしたたらしているという。