真光寺と経石塚 木田淑子
野尻の新町地区に、真光寺というお寺があります。
その昔、そこのお坊さんが越後へだん家回りに出かけたおり、関川山のそばを通ると、
沼の中にキラキラ光るものが見えたので、近づいて拾い上げて見ると、浜の小石でありました。
その石には、「南無阿弥陀仏」という経文が書かれてありました。驚いてつぎつぎと拾い上げて見ると、どれにもこれにも経文が書かれており、これは大変なことと思い、近くの村の人々にも手伝ってもらい、かます(むしろで作った袋)に二俵も拾い集めました。
一俵を関川山の浄善寺にさし上げ、もう一俵を持ち帰って、真光寺の宝として、経石塚を建てました。
さて、みなさん。経石塚のたくさんの経石を浜から拾ってきたのは、どなたでしょうか。それは、浄土真宗を開いた親鸞さまです。
親鸞さまは、越後の国に数年間流罪されていましたが、ご赦免となり、常陸(茨城県)へ向かう途中、妙高の関川山の松の下で一夜を明かされました。
その時、
越後なる関川山に行き暮れて 松に宿る旅枕かな
と、詠まれました。
それを聞いたお弟子さんが、寒かろうと笠をかざすと、こんどは、
寒くとも袂に入れよ西の風 弥陀の国より吹くと思えば
と、詠まれたといいます。
翌日、親鸞さまが旅立とうとすると、大勢の村人が見えて、上人様の前にひざまずきました。
「この近くの新川沼に年老いた大蛇が住んでおりまして、土地の人や道行く人々にたいへんな危害を加えて困っています。どうかお救いください。」
と、お願いしました。
親鸞さまは、さっそく直江津海岸の古多の浜におもどりになり、浜の小石をかますに三俵も拾い集めて、馬でお運びになりました。
そして、この石の一つ一つに「南無阿弥陀仏」という六字をお書きになり、お念仏をとなえながら新川沼に沈められたのです。すると、大蛇はどこへともなく姿を消し、ふたたび姿をあらわしませんでした。
おかげさまで、人々はしあわせに暮らすことができるようになりました。
この石を、経石というのです。
さて、この経石は長いながい年月の間、この沼にそのままになっていました。
ある時、関川山に地すべりがおこり沼の水が流れ出しましました。ちょうどその時、真光寺のお坊さんが沼の近くを通って、流れ出てきた経石を発見されたのです。
この経石塚は、今でも真光寺と浄善寺に、大切に保存されています。