鍋 山 小林浩子
今から四百年もむかしのこと、中野の高梨城にひとりの女の子が生まれた。
お殿様は、黒姫と名づけ、手の中の玉のように育て、それはそれは日ごとに美しくなり、信濃の評判になった。
それを聞いた高井の奥の佐野池に住む大蛇が、黒姫を一目見たいと思い、若者の姿となり、お城にしのびこみ、姫を見るなり一目ぼれしてしまった。
それからは、毎晩のように、姫の夢枕にたつようになり、話しをしているうちに、姫の心もだんだんうちとけて、若者をしたうようになった。
ある夜のこと、若者が、
「じつは、わたしは佐野に住む大蛇です。どうかこんな姿の私だが結婚して下さい。」
と告げた。姫は一瞬声もでなかった。
「はい、私も、あなた様を好きになってしまいました。どうかこのことを父にお話しください。私は、あなた様にどこまでもついてまいります。」
と約束した。
つぎの日、大蛇の若者は城を訪ねて、お殿様に、自分は佐野池に住む大蛇であることの素性も語り、ぜひ黒姫を妻にしたいと申し入れた。
「それはできない、姫は高梨家のあととり、誰にもやることはできない。」
それからというもの、断わられても断わられても若者は毎日毎日城を訪ねて、お殿様に願い続けたが、殿からの許しは得られなかった。
意を決した若者は、ある夜、城守の武士をけちらし、とうとう黒姫を城からつれだし、西の山を目指して空をかけた。西の山には二人が住むにふさわしい美しい山がある。
途中、落影の裏山の頂上まで来ると若者がいった。
「姫よ、ここでしばらくお待ちください、向こうに見える山にきれいな池があります、そこでこれから暮らしたいと思う。それにつけて山の主にお願いに行ってまいる。」
ひとりになった黒姫は、村においでの庵主さんを訪ねて、米と鍋をかりて煮炊きをしていると、村人がつぎつぎとやってきては、
「きれいなお方だが、このへんではみかけねえ人だがおめさんどこからこらっただね。食べる物あるかえ、さあ、うんと食べてくれや。」
と、村でとれた野菜を食べきれないほど、しょってきてくれた。
村人のあたたかい心に黒姫は、日のたつのも忘れていた。
七日ほどたったころ、大蛇の若者が帰ってきた。
いよいよ山を目指して、でかけることになつた。しかし黒姫は、これまで親切にしてくれた村人と別れることはとてもつらかった。そこで、今までつかっていた鍋を、そっと山の頂に伏せ、
「おせわになりました。」とつぶやいて出発した。
その後、村の人々は、この山を鍋山と呼ぶようになった。
この鍋山の入り口に、いまも黒姫が米のとぎ汁を流した白い跡もあるという。
(注)黒姫が人間世界との交流を断ち切るという意味をこめて、出かけるに先だって鍋を割ったという、いいつたえもある。