野尻湖の主 高橋忠治
 かにと大蛇の死闘野尻湖は北信濃でもっとも大きな湖です。黒姫、戸隠、飯綱、斑尾、妙高の五つの山々に囲まれて、おごそかな美しさをたたえた湖です。
 野尻湖の底には古いむかしから、夫婦の大蛇が主として住んでいた。大蛇の夫婦は、年ごとに十匹ずつの子を生み続けていた。
 いっぽう、黒姫山と妙高山の間に深い谷があって、そこにごうごうと落下する大きな滝があった。その滝壷に夫婦の大ガニが主として住んでいた。大ガニの夫婦もまた年ごとに十匹ずつの子を生み続けていた。
 いつのころからか、春になると大ガニ夫婦が子ガニどもをひきつれて野尻湖にへやってくるようになった。
 野尻湖にやってきた大ガニ夫婦は、大蛇の子どもをひっとらえては子ガニに食わせるのである。
 それを知った大蛇は、われらの一大事というわけで、子ヘビをひきつれて戦いをいどんだ。
 しかし、大ガニのこうらは鋼鉄よりもかたく。巨大なはさみは岩をもくだくほど強かった。
 戦いは三日三晩続けられ、ヘビ一族はつぎつぎと討死にし、野尻湖は血の生みと化した。
 野尻湖の主はついに降参し、大ガニの前に頭を下げ、「以後けっしてはむかいません。どうぞ、大ガニどのの家臣にしてくだされ。」と願い出た。
 それから後、大ガニは子ヘビをとって食うことをしなくなったが、野尻湖のヘビたちはいまもなおカニをおそれているので、野尻湖でヘビに出会ったら、
「カニにいいつけるぞ。」
とおどせば、カサコソとやぶかげへ逃げていくそうです。

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