
むかし、むかしのこと、高井野のむらさきというところに、とても仲の良い、吉じいさま夫婦が住んでいました。
毎日、吉じいさまは、ばあさまが作ってくれる、おこびれを侍っては、畑仕事に出かけていきました。
ある日、畑仕事の帰リでした。
「今日は、くたびれたのう。」
まがった腰をたたきながら、ふと山の方を見ると、何やら小さなもの影が動いているのです。
「あれは何じゃろう。」
吉じいさまは、首をかしげながら、家にいそぎました。
戸を開けるなり、
「おーい、ばあさま、山の方から、黒いものがこっちにきたぞ、何じゃ。」
真っ黒に日やけした顔を青くして、吉じいさまが、家の中にとびこんできました。
「そんなにあわててどうしただ、熊でも出たんかのう。」
あまりの吉じいさまののあわてように、ばあさまは、ぞうりを片方はき、水を一杯くんでやりました。
吉じいさまは水をごくんと飲み
「いいや、熊ではねえ、もしかしたら、山犬の群れかの
手を犬きくひろげて、手つき手まねで、ばあさまに大きさをしめしてみせました。
吉じいさま夫婦は、長年ここに住んでいましたが、山犬の姿をはっきり見たことはまだ一度もありませんでした。
それから、四、五日がたち、秋の暗い晩のことでした。
吉じいさまが、隣村へ用に出かけて行きました。
めったにこんな所を通ったことはなかったのですが、近道をしたのでした。
ところが、荒井原近くまでくると、雲の切れ間から月に照らされて、吉じいさまの目の前に見えたものは、山犬の群れだったのです。
吉じいさまはびっくり、だがとびつかれたら大変、もの音をたてず、その場をいそぎました。
その帰りのことです。
月夜明かりになったので、またその道を下ってきますと、途中で一ぴきの山犬にばったりと出会ってしまいました。
おくれをとったのか、草むらにぽつんとすわっているのです。
吉じいさまは、しらんぶりして通りすぎました。遠くの方からふりむくと、山犬はじっと動かず見ているのです。
気の荒い山犬たちも、老いてきたりすると自分でえさをとることは出来ませんので、人間にえさを求めて、毎晩おりてきていたのです。
こうして、山犬たちがいったりきたりしているうちに、草は枯れて、だんだん広くけもの道となりました。
あくる日の午後でした。
吉じいさまはうまそうにたばこをすって一服していると、空もようが急にかわってきました。
「おお、これは大雨になるぞ。」
くわをほうり出し、大急ぎで家に帰リました。
やがて、大粒の雨が降りだして、あっというまに、上流から、土や砂が押しよせ、山犬たちの道を流してしまったのです。
やがて、空は明るくなり、雨も上がりました。
吉じいさまはうでぐみをして
「おお、これは山犬たちも、二度とおりてはこられまい。」
とあれた道を、じっと見つめていました。
ところが、夜になるとどこからともなく、同じところを石をよけ、せっせとおりてくるのでした。
それから、何日かたちました。
日が沈む頃になって、吉じいさまは、
「ばあさま、白出社の畑に、おら、くわをわすれたに、とりにいってくるでなあ。」 びくを背おって出て行きました。
畑に着いたときは、もう、すっかり日が沈んでいました。
大根をびくに入れ、くわをかついで、近道を下ってくると、この間の山犬が、また吉じいさまをまっているのです。あたりは暗くてなにも見えませんが、腹をすかしていたのか
「くん」
と一声なきました。吉じいさまは、そんなこととはつゆしらず言いたいことをいっては
「山犬、じいさまは、まだまだ、山犬には負けはせんぞ。」
と、とつぜん山犬めがけて、こぶしをふりました。
そのとたんに、山犬の口の中にこぶしをつっこんでしまいました。
吉じいさまは、手がいたかったのか、こぶしをなでながら、
「ははぁ、山犬に勝った。」
と大よろこび。
ところが心のやさしい吉じいさまは、首をたれている山犬を見て、急にかわいそうになり、
「いたかったかのう。」
と持っていたこねつけをびくの中から、一つとりだし、くれてやりました。
山犬は、もらったこねつけをだいじそうにかかえて、仲間たちの群れに帰っていきました。
可哀想なことをしてしまったと思いながらやっとのことで家に着きました。
「ばあさま、おれはまだまだ達者じゃ、山犬をぽかんぽかんといっぱつやったでな。」
と、とくいそうに吉じいさまは笑いました。
「けっしてじいさまが勝ったわけじゃねえ、むりせんでな、山犬が老いよっていたんじゃ、まるで子どもがはしゃいでるみてえじゃねえか。」
吉じいさまのやさしい心が、山犬に通じたのか、それからというものは、山犬道にさしかかると、吉じいさまの目の前を振り返り振り返りして、家までおくってくれるのです。
「こねつけをまたほしいのか。」
と吉じいさまは山犬に話しかけました。
「ただいま、かえったで。山犬におくってもらったでな。」
ばあさまは、前かけで手をふきふき、
「それは良かったでねえか、年をとっておるでな、ありがとうよ。」
ばあさまは、礼を言いながら、作ったばかりのこねつけを、山犬の首に背わせてやりました。
奥山に、白いものが降り始める頃になると、山犬たちの姿を見るものはありませんでした。
こんなそぼくな道、山犬だちとの出合いの道を、この村のひとたちは、山犬道と呼ぶようになりました。黒部から雁田村へと、長く続く道それは便利でした。