狐火 山田千里子
JR黒姫駅の北側に、緑ヶ丘という住宅街がある。
そのむかしこのあたりは、雑木林の小高い丘陵地であった。第二次世界大戦の末期に、中国の人たちが強制労働者としてこの地に住んでいたので、土地の人々は捕虜村とよんでいた。
ハナばちゃんは、昭和二十二〜二十三年ごろ雑木林を切りひらいて家を建てた。ハナばちゃんも、まだ、ばちゃんではなくて四十代のお母さんだったけれどね・・・・・・。
そのころは停車場の近くまでは電気の配線がきていたけれど、ハナばあちゃんの所までは引けないでいた。したがってランプの生活。毎日ランプのホヤの掃除をしなければすすがたまって、灯油がよくもえない。
夕方から夜にかけて、熊倉街道を通る村人は、捕虜村のほうを眺めると、なにやら火がチラチラ動くので(ランプとは知らないから)、
「狐火だ、狐の火が動いている。」
「どこだ・・・・・・。」
「ほー、あのへんだよ・・・・・・。」
「ふんとだ、動いている・・・・・・。」
「狐の嫁入りかもね。」
「うーむ、狐が、がーたくしてんのかのう。」
「ふんとに、おっかねえなあ・・・・・・。」
こんな会話がしばしばかわされておった。
また村に水道などなかったので、ハナばあちゃんは近くの沢まで、毎日飲水や風呂の水を汲みにいった。天秤に桶をつけてリズムよく歩くのだ。
「ごしえてなあー、えまっと軽ければなあ−。」
ぶつくさいっていると後ろのほうから、
「母ちゃん、おれ手伝うよ・・・・・・。」
と、学校から帰ってきた正雄の声、
「そうか、あと三回ぐらいで終わるでたのむよ。」
「うん。」
「あ−よかった、ぼやで風呂でも沸かすか。」
「うん。」
正雄はもくもくと水を汲んでは運んだ。
このような生活をしているうちに、近くに家が建ちはじめ、五、六軒に、そして七、八軒へと。また田畑のえ(ゆい=共同作業)もできるようになった。
「捕虜村なんて、しょうしい名前をつけられているので、なにか良い名前はないかね。」
「うーむ・・・・・・。」
「おれたちの丘は、いろんな木々の緑がぎょうさんにまざって輝く丘だ。緑ヶ丘というのはどうだろうかな・・・・・・。」
「緑ヶ丘・・・・・・緑ヶ丘・・・・・・。」
「うん・・・・・・ぴったしの名前だ・・・・・・。」
「それに決めてくれ・・・・・・。電気もほしいね。」
と、みんなで話し合った。それから間もなく地名は「緑ヶ丘」という事になり、電気もつくようになった。
水道は昭和二十八年に工事を始めて、二十九年には村じゅうに配管され、家庭の台所に届くようになった。ハナばあちゃん達主婦にとって、なににもまして、それはそれは嬉しいできごとであった。
そんなわけで緑ヶ丘には、どんどん家が建ちはじめ、いまでは約百四十戸ほどの集落に。
そうそう、昭和三十一年(一九五六年)には旧四村合併があり、信濃町が誕生したことも忘れられない一つだ。
ハナばあちゃんは、茶飲み友達がくると、思い出ばなしに花をさかせる。
「今はむかしとくらべて楽になったね・・・・・・。」
「電気製品など家中に、ぎよううさんあって、どれもこれも、ちょくらスイッチを入れれば、私でも使えるんだから・・・・・・。」
「水道の蛇口をひねれば、おいしい水もいただける・・・・・・、便利だねえ・・・・・・。」
「でも、九十ニ歳を過ぎると、ふしぎなことだけど、苦労つづきの昔が、とてもなつかしくなるんですよ・・・・・・。」