美しい山の神さま 大草薫
その昔、菅川は砂川とよばれていた。
大雨がふるたびに斑尾山が崩れて砂や石がおし流され、あつい砂の層ができたのだ。
最初、砂川をきりひらいたのは、合戦にやぶれた平家の落人だった。
この人達は、土地を耕し、野うさぎを追い、湖の魚をとり、炭を焼いて暮らしておった。
やがて砂の川にも、草木がしげるようになり、作物もよくみのり、菅川とよばれるようになった。
慶長年間のころ(一六〇〇年ごろ)菅川に、大火災があった。
湖から吹きあげる強い風にあおられ、四十軒あった家も、たった二軒がのこっただけとなった。
村びとは、災害復興のために、朝から晩まで、精いっぱい働いた。
山の神をまつるお宮を建てて村の安全を祈った。
周囲には、五本の杉の木も植えた。
さて、この菅川に、正直もで働き者の徳兵衛という若者がいた。
徳兵衛は、越後から気だてのやさしい、おまさを嫁にもらった。
おまさは、人里はなれたさびしさに、つい、涙するこもあったけれど、徳兵衛が、なにくれとなくなぐさめてくれるので、二人は、人目もうらやむ仲の良い夫婦となった。
つぎつぎと、六人の子どもにめぐまれた。
雪の降るころになると、徳兵衛は炭焼きをし、おまさは、繭から糸を紡いで機を織る。
おまさの織った反物は、それはそれは美しく、村でも評判がたかかった。
年の瀬もせまったある冬のこと。徳兵衛とおまさは、炭や反物をお金や品物と交換するため、そりにのせ、善光寺の町まで売りに出た。
十里(約四十キロメートル)いじょうのもの道のりでは、朝早く出ても、夜おそく帰ることになる。
六人の子どもたちは、さびしいのもがまんして、父さん母さんの帰りを待っていた。
その夜、外ははげしい吹雪なのに、とんとんと、くぐり戸をたたく音がする。
父さんかなと思って、姉のはなが出てみると、頭から真白に雪をまとった髪の長い美しい女が立っていた。
「ごめんください。道にまよってこまっています。なにかめぐんでください。」
はなは、女を家にあげ、いろりの火にあててやり、にぎりめしをつくってやった。
女は、にぎりめしをもらうとたもとに入れ、くらい吹雪の中へ、すーっと消えていった。
そのころ、徳兵衛夫婦は子どもたちが待っている家路へといそいでいた。
けれども、ますます大吹雪となり、湖の上の長い長い一本道は、どこもかしこも平になってわからなくなっていた。
こまりはてた二人は、身をよせあい、しばらく吹雪のやむのをまっていたが、いっこうにおさまる気配がなかった。
すると雪明かりのなかから、髪の長い美しい女があらわれて、
「どうぞ、そりにのってください。わたしがおつれしましょう。おにぎりもどうぞ。」
そういったかと思うと、ほうての中、二人をのせたそりを軽々と引き出した。
弁天島から樅が崎をどんどんすぎて、まっすぐ菅川の家までたどりついた。
家につくや、長い髪の女はすーっと、どこへともなく姿を消した。
「おまちくだされ。どうか、おまちくだされ。」
お礼をいってるいとまさえなく、二人は、しばし、ぼうぜんと立っていた。
「山の神さまかも・・・・・。」
徳兵衛がつぶやいた。
翌朝は吹雪もやみ、まぶしいほどに晴れあがった。
吹雪の晩に子どもたちを見舞ってくださったのも、わしら夫婦をそりにのせてくださったのも、山の神にちがいないと信じ、徳兵衛は親子ともども、お宮へお礼参りにいった。
あれから四百年、お宮の杉の木は、菅川のようすを、ずっと見守ってきた。
今では大人八人が、やっと手をつなげるほどの大杉となって。