黒姫弁財天 山田千里子
むかしむかし、大悟羅月上人というえらいお坊さんがいました。善光寺の方から越後に行こうとして柏原を通りかかりましたが、とっぷりと日が暮れてしまいました。「仕方あるまい。この松の下で野宿でもしよう。」
あたりは山桜が満開。春ほんばんの気持ちのよい夜です。月もおぼろに上がってきました。疲れきっているお坊さんは、まもなくうとうとと眠りに入りました。
しばらくすると金色の雲に乗って、美しい女の人が金銀宝石を捧げて現われました。「私はこの山に住んでいる弁財天です。仏様のおいいつけで、貧しい人や苦しんでいる人達に、幸せや豊かさを施すようにやってきました。私に願をかければ、必ずかなえてあげましょう。」
「あなた様が・・・・・・本当ですか。」
「上人よ、このことを日本国中の人達にに伝えて、悩みや苦しみ、そして欲望からもぬけ出し、仏様のしあわせに気づかせるようにしなさい。」
そう言って、金銀宝石を上人のふところに入れようととしたとたん、上人ははっと目が覚めました。お坊さんは弁財天のお告げに感動し、全国を廻ろうとかたい決心をしました。
ある年のこと、ある大名がお山に(現在の黒姫山)四天王寺という山寺をつくりました。ちょうどその頃、日本各地に弁財天のお告げを広めていた大悟羅月上人が、ひょっこり柏原へ帰ってきました。山寺を建てた大名は上人に山寺の住職になってもらいました。上人の話を聞いた全国の善男善女は、弁財天のご利益にあずかろうと、日夜押すな押すなと山寺に集まりました。
さて何年かたったある日、弘法大師が奥信濃に美しい山があると聞いておりましたので、一度ぜひ見たいとこの山寺を訪れました。
「ほうー聞きしにまさる、温かいたたづまいの山だ。」と言って、見とれておりましたが、それにしても、この山深い寺に毎日沢山の人達が集まってくるのはどうしてかな、とても不思議に思ったので、お詣の人にたずねました。
「どこからいらしたのかな。」
「はい、私どもは上州から・・・・・。」
「私は越中からきました。」
「ふむ、なにかよい事でもあるのかな。」
「弁財天の御利益にさずかりたくて、上人様のお話しを聞きにきたのでございます。」
「ほう弁財天のね。」
そこで弘法大師は、上人に、
「弁財天の御利益とどんなことかね。」と、お聞きになりましたら、
「じつは、夢枕に弁財天が立ちまして・・・・・。」
坊さんは、弁財天のお告げを一部始終を話しました。弘法大師は目をつぶって聞いておりましたが、
「その尊いお姿を私が刻みましょう。」
と、いって、精根こめて彫ってくださいました。やがてみごとなお像が生まれました。
「これを山寺に安置して財宝や幸せの仏にしなさい。」
大師はそうおっしゃって、ふたたび遠い旅へとおたちになりました。
年月は流れ、大悟羅月上人もこの世を去りましたが、山寺はその御利益のためかますます栄えました。さらに280年ほどたって、お山の中心地点(今は大滝といわれている)に立派なお寺を建てて、弁財天にちなんで山を姫獄、山寺を宝慶寺と改めました。全国から、
「弁財天の御利益にさずかりたい。」
「私も、あなたも、みんなさずかりたい。」
と、寺の周りには仏徳をしたって人家ができてきました。もろもろの願いごとがすべてかなったのでした。
けれども、大きな山崩れがあり、寺はすべて埋ってしまいました。(現在ときどきその時の物が出土するそうです)しかし、不思議なことに弁財天だけは助かりました。
そこで今度は赤渋という所へ寺を建てたのです。けれど弘化四年の大地震でまたまた寺の建物が、全部こわれてしまうという被害にあいました。でも信心ぶかい人々の協力で、長い年月をかけて再建されましたのが、今の真言宗雲龍寺だと伝えられています。
弁財天は寺の何回かの災害にもかかわらず、奇跡的に助かり、寺と共に移転して、今では黒姫弁財天といわれ、雲龍寺の本堂に安置され信仰を集めています。