もくじへ
芋川堰悲話

 今から三百五十年も昔のことです。
 芋川堰は、中村の大樋まで通じており、それより下流の二里は、野田喜左ェ門と、村人たちの血と汗によって開かれたのでした。
 山や原を足軽や、村々からの農民を労役に使い、数多く犠牲を出しながら、鍬ともっこで、二十年もの年月をかけて完成させたのでした。
 いよいよ水あげをしましたが、東柏原村で待つ野田喜左ェ門や村人のところまで、いくら待っても水は流れてきません。

 「雨が降らなくて、もう一か月ほどになりますもの、ご心配なさらずとも」妻が声をかけますが、喜左ェ門には聞こえぬ様子です。

 「これで水が来なければ、今までの百姓たちの苦労は水の泡だ」喜左ェ門はひとりつぶやきます。
 「大丈夫ですよ、三年もかかって水が通った用水もあるというではありませんか」
 ふっと我に帰った喜左ェ門、
 「お前にも苦労をかけたな、ここ何年もお前を連れて、よそに行ったこともなかった」
 「いいえ、我はお前様が、一生懸命百姓衆のために働いておられる姿を見ているだけで満足です」
 小町美人と言われた妻の髪にも白いものが見えています。
 気丈夫な妻は、夫が渋顔をつくればつくるほど笑顔でこたえ、夫の心をなぐさめていたのです。
 下級武士の野田家では、用水工事の人々にふるまう酒代もままなりません。生活を切りつめ、やりくりをしているのは喜左ェ門の妻でした。
 「私は、やはり人柱になろう」喜左ェ門の妻は水神様に願をかけながら思うのでした。

 「野田様、水あげをしてから、もう二十一日にもなります」名主のひとりが、喜左ェ門に話しかけます。
 「久しぶりの雨も昨日から降り続いている、今日こそはどうであろうか」喜左ェ門も、どう答えて良いかわかりません。
 そのときです「来たぞ! 水が、水が米たぞ!」百姓たちの声が山にこだまします。
 「水神様のご加護であろう」喜左ェ門の泪にかすむ目にも、はっきりと川底に広がりながら流れてくる水が映りました。
 二十一日めにして、ようやく二里の用水に水が流れ通ったのでした。
 しかしそのころ、古間村戸草の芋川堰の取入口に入水自殺した中年の女が、野田喜左ェ門の妻とは、だれも思いませんでした。

作・さみず民話研究会
採集地・芋川

長野県 長野地方事務所 長野広域行政組合刊 長野地域民話集昔々あるところより
next
もくじへ
next