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無題(虫倉山の大姥?)

 むか〜し、むかし、都に心やさしい女性が住んでおられました。縁あって高貴な御方の妻となり、それはそれは幸せな毎日をおくっておられました。
 御方の子をみごもり喜びもつかの問、事情あって御方と別れることになりました。
 あまりの悲しみから鬼女となり、都をはなれ諸国の出獄を渡り歩くようになり、信州安曇の揚論山に来たとき、玉のような大きな男の子を産みました。
 そして、子どもは山野で動物達と一緒に遊ばせ、たくましく育てていました。
 子どもが6歳のとき、武士が揚論山で道に迷い岩穴の鬼女に一夜の宿を乞いました。
 いろいろ語り合ううちに、武士と鬼女はもと縁者であることがわかり、武士は子をもらい受け坂田金時と名のらせ、後に頼光四天王の一人となりました。
 子を手放した鬼女は、信州上水内の日里にある虫倉山に移り住みました。
 鬼女は、根は大変心やさしく、困ったときは里の百姓たちを助けたり、あるときは都で身につけた歌や踊を、里の人たちに見せ楽しませてくれました。
 最初、鬼女を恐れていた里の人たちも、いつの間にか虫倉山の大姥さまと呼ぶようになり親しまれました。
 鬼女は大変子どもが好きでした。子どもが「かんの虫」をおこすと、子どもの手を上げ、その五本の指爪先からでる「五かんの虫」を、自分の小指の長い鎌のような爪ですうすう切り、かんの虫を退治し健やかに成長させてくれました。
 また、鬼女が住みついた頃から、村の男の子ども達はみんな、丸坊主の頭の後の毛を一部だけ刈り残して、長く伸ばすようになりました、こどもが水に溺れたときや危ないときに鬼女(大姥さま)がこの、鶏のとさかににた毛をつかんで助けてくれました、鬼女はいつしかこどもの守り神として、里人から敬われるようになりました。
 鬼女が世をさると、里の人たちは虫倉大権現としてまつり、いつまでもお慕いしておりました。
 お守りは「虫切鎌」で、こどもの守護神様、蒼育ての神様「大姥さま」として、今でも各地から訪れる人が絶えません。

 ※鬼女(大姥さま) 坂田金時の母。(静岡県小山町役場 発行の本「足桐山の金太郎」にも紹 介されている。また、井上道貞編の「信濃奇勝録」にもでてくる)金時伝説を民俗学的に取り上げ解析し、文献にした代表的な学者に柳田国男、高橋正秀、大島達彦、桜井満、内 田清らがいる。
※武士 源頼光。
※坂田金時 幼少名は足桐山の金太郎。
※日里 現在の中条村の虫倉山南側山麓一帯の集落の総称。

長野県 長野地方事務所 長野広域行政組合刊 長野地域民話集昔々あるところより
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