須賀川堰の水神
三百余年前の寛文年間のこと、飯山藩松平遠江守は、岩井平の水田を開墾するため、中須賀川から農業用水を引く計画をたてた。普請奉行野田喜左ヱ門に命じ、堰掘り庄八を頭に岩井、岩井東、田上の村人を動員し工事を始めた。
工事は難航し、途中大きな岩にぶつかり仕方なく水路を下げた。山の神地点に達したところ、水はよどんで流れなくなった。庄八は数日間、苦心を重ねたがうまくいかず、日頃、信心している水神様に願掛けをすることにした。
庄八は悩んだ末、妻の姿絵を書いてよどんだ所に供え、
完成を祈った。長い祈祷が終わると、不思議に水が流れ出した。「水神さんの力で水が通った」と、村人だちと歓喜した。軽い足取りで家に帰ると、機織りにいそしむいとしい妻が伏せ、すでに事切れていた。
悲しみのどん底から立ち直り、三年の歳月をかけ寛文五年に完成した。後に、村人が庄八の心根をたたえ、妻の冥福を祈って、山の神の堰の傍に石の祠を建て祀った。
(ふるさとの伝説と昔話)
