竹原の大日如来

  永禄八年(一五六五年)の八月、いく日も大雨が降り続き、横湯川が氾濫して竹原も大きな被害を受けた。
 百姓の軍右工門と倉之助は、河原となった十三崖の近くの畑を見に出かけた。すると、「オーイ、オーイ」と呼ぶような声が、軍右工門の耳に聞こえた。二人は立ち止まって、あたりを見回すと、頭のような形をした大きな石が砂の中に埋まっていた。掘り出して見ると、石で作った大日如来だった。二人は、背負って家まで帰れたものが、自分の物として家でお祀りをすることに決めた。倉之助には持ち上がらなかったが、軍右工門はどうやら背負って家まで帰り着いた。そこで、手厚く祀り毎日お参りをした。
 寛永一六年(一六三九年)、金二郎の代になって堂を建て、大日如来を安置した。この時から、十一月一五日をお参りの日と定め、村人たちは「知恵の団子」をあげて、大きな数珠を回しながら念仏を唱えお参りをしたという。

  (ふるさとの伝説と昔話)

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中野市公民官報 文化なかのより